心の後遺症
 共依存(Co-Dependency)
 
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●共依存とは
 共依存とは、人間関係そのものに依存するというアディクション(嗜癖・依存症)です。

 共依存の人は、自分自身を大切にしたり自分自身の問題に向き合うよりも、身近な他人(配偶者、親族、恋人、友人)の問題ばかりに気を向けてその問題の後始末に夢中になります。身近な人の取らなかった責任を一生懸命代わりにとり、結果、現在の困った状況を身近な他人本人が決意して解決する必要を与えず、困った状況をそのまま続けるはめになる……あるいはますます困った状況に陥っていく人達のことです。

 身近な他人は大きな問題   アルコール依存症やギャンブル依存症、非行や暴力、買い物中毒、仕事中毒、絶えない人間関係のトラブルなどを抱えているため、共依存症の人の「共依存」という問題がクローズ・アップされることは滅多にありません。

 けれども、そういった見た目に派手な依存症や問題を抱えている人達の側にかならずといっていいほどいると言われています。共依存の人達が問題の後始末を一生懸命してくれるので、「困った人達本人」は「困った状況」が「なんだかんだ言ってもなんとかなる」と無意識で感じています。このため問題を解決せずにほったらかしにし、悪化させます。この現象を指して共依存者のことを「依存症の支え手(イネイブラー)」と呼ぶこともあります。

 ここで誤解しないでいただきたいのは、身近な誰かが何かの依存症にはまっているのは、その本人に問題があるからです。問題のない人は、依存症にはまりません。共依存症者と他の依存症者が一緒にいると、2人とも依存症がエスカレートしやすくなりますが、共依存症者が側にいなくても、他の依存症者は依存症にハマっています。「私が共依存症だから、相手がパチンコ依存症なんじゃないか」というのはハッキリと間違いです。

 共依存症者が側にいなければ、他の依存症者のエスカレートはゆるやかになるケースが多いと言われています。それと同じように、他の依存症者が側にいなければ、共依存症者のエスカレートもゆるやかになります。

 立場は同等であり、とちらにも同じように問題があります。どちらが悪いという話しではないことをご理解下さい。

 日本女性はとくに「我慢して尽くすこと」が美徳だとされているので、共依存者が多いといわれています。ある程度までは「人間関係の潤滑油」ですが、共依存症者にとってその人生は他人の後始末、後始末、後始末……他人の責任の代行ばかりで自分のための人生を生きることができません。自分自身の人生もみじめですし、周囲もみじめなままになってしまいます。

 
●共依存の症状
 共依存の中核の症状は5つとされ、それを核にして16の症状行動(思考・態度)が派生します。
 中核症状は以下の5つです。
  1. 適切な高さの自己評価を体験できないという自己愛の障害
  2. 自己と他者の境界設定ができずに、他者に侵入したり、他者の侵入を許したりするという自己保護の障害
  3. 自己に関する現実を適切に認識することが困難であるという自己同一化の障害
  4. 自己の欲求を適切に他者に伝えられないという自己ケアの障害
  5. 自己の現実(年齢や状況)にそって振舞えないという自己表現の障害
ピア・メロディー著"Facing Love Addiction"
●自らを犠牲にして他人を助けたり、世話したりする
 自分が他人にとって必要になっており、ありがたがられる、などの報酬を無意識に期待している。目先の愛情にとらわれて他人の世話をするが、大きな目で見ると他人や自分を破滅に導いていることに気がつかない(例・不良息子や飲んだくれ亭主に必死に働いてお金をあげたり、本人達の不始末を代わりに謝る)
●他人の行動、感情、考え方・状況・結果を変えようとコントロールする
 他人の行動の責任はとるが、自分の行動がどのような結果を招いているかは考えない。他人の文句を言ったり、他人がどうするべきかを考えてそうなるよう努力はするが、自分がどうすれば本当は良いかを考えない。
●何か身の回りに問題や危機が起こっていないと空虚になる
 問題のある人や場所に惹かれやすく、不安定な生活を送りやすい。いざ安定した自分中心の生活と不安定な他人中心の生活の選択をせまられると、「私がいないとあの人は……」「金銭的に無理」などといろいろ理由を並べて熱中できる問題がたくさんたる生活を選ぶ。
●依存心が強く、一人でやっていけるという自信がない
 自尊心・自己評価が低く、自分自身が好きではない。一人で過ごしているとひどい虚無感に襲われて、自分を必要としてくれる人を常にもとめ、「見捨てられる危機感」を振り切れない。
●考え方、視野がせまい。社会・地域・自然などへの関心・貢献が薄い
 特定の他人の問題で頭がいっぱいで、友人からも離れ、小さく狭い世界で生活する。このため、自分と自分の周囲の狭い範囲の人達が、どんな悲惨な状況なのか気がつかない。
●現実をしっかり見つめようとしない
 他人の目や意見を気にして、あるいは自分の本当の気持ちをごまかすために、真実を隠して表面は何でもないように振舞う。悪い面をできるだけ小さく考えようとしてそう表現する。
●「No」と言えない。「私」を中心に話せない
 コミュニケーションの技術に欠け、「自分の」必要なもの、欲しいものをはっきり要求することができない。「いいえ、できません」とはっきり断わることができない。他人の問題や他人の愚痴ばかり話し、「私は」こう感じてこう考えるというように自分自身を主にできない。
●他人とのバウンダリー(境界)がはっきりしていない
 他人の問題にお節介にも入り込んでしまったり、他人の落ち込むのを見ると、自分も滅入ってしまったり、または人の気分を変えようと必死になったりする。自分と他人は考え方も感じ方も感情も違う個別の人間であるという自覚が、実はない。
●自分の身体から出るメッセージに気がつかない。感情の適切な表現ができない
 繊細な感情がマヒしてしまっているので、感情の適切な表現ができずに、何だか変だなと思うときに胸がドキドキしても、それに注目せず無視してしまい、行動を変えることなく同じ間違いを何度も繰り返したりする。
●怒りに問題がある
 自分よりも他人のために行動しているのに報われないとなると、怒りや恨みがたまってくるのは当たり前のことだが、自分自身でその怒りを否定するために適切な怒りの表現ができない。急に爆発させたり、八つ当たりしたり、あるいは怒りを「恐怖」にすりかえて怒りを感じないようにする。
●静かに時を待つ、ということを知らない
 今すぐ良い結果が出ないと気がすまず、せかせか動き回ったり余計な心配に気をもむ。他人の行動を長い目で見守ることができず、自分が今すぐコントロールしようとする。しなければならないことで頭がいっぱいになり、様子をみるということができない。
●罪の意識によくおそわれる
 相手に問題があるのは、自分が何か悪い事をしたかのように思い込み、自分がもう少し努力すれば、また自分の欠点を直せば相手が良くなるだろう、変わるだろうと必死になる。疲れて相手から離れようと考えると「私がいなければあの人は」「子どもがかわいそうだ」とひどい罪の意識に囚われる。
●物事が極端。ほどほどに、ができない
 黒か白かがはっきりしすぎたり、自分が正しくて他人がまったく間違っているとか、または反対に全部自分のせいだと思い込んでしまう。いったん何かをやりだすと限度を知らず、または物事を1つも完成させることができずに、途中ですべて投げ出してしまう。
●過去の間違いから学ぶことができない
 相手が問題を起こすと憤慨し嘆くが、少し調子がいいと苦しかったことを忘れて相手を「可哀想な人だから」と弁護したり本当はとても良い人だと思ってすぐ許してしまう。離れたり調子が良いときは楽しいことばかり思いだし、苦い経験を忘れてしまうのでふたたび同じ過ちを繰り返す。
●被害者意識にとりつかれている
 相手を救おうとあがき、上手くいかないと相手を責める。それもうまくいかないと、相手のせいで自分はこんなにみじめだと被害者意識にとりつかれる。被害者の役割を演じ、相手のせいにしていれば自分の選択と行動の結果の責任を取らなくていいという錯覚に陥る。
●自己の確立ができていない
 自分に自信がないので他人に幸せにしてもらおうと思っていたり、自分の人生の目的や自分はいったい誰なのかがはっきりせず、自分を大切にできない。すべての共依存の問題は、ここから始まっていると思われる。